板倉 須美子(1908〜1934)
ロシア文学者昇曙夢の長女として生れ、与謝野鉄幹、晶子の媒酌で鼎と結婚。パリで鼎の手ほどきを受けて制作を始め素朴で詩情豊かな作品が藤田嗣治に絶賛された。夫、幼い娘二人を相次いで亡くし本人も帰国後肺結核で早世した(25歳)。
板倉 鼎(1901〜1929)
千葉県松戸育ち、東京美術学校(現東京藝術大学)卒業後、1926年妻須美子と共にパリに留学。明るく洗練された色彩と堅固な構成のモダンなスタイルが評価されサロンドートンヌ入選も果たしたが、28歳の若さで客死した。松戸市教育委員会を中心に再評価を進めている。
板倉須美子「ベル・ホノルル21」(1928)
松戸市教育委員会蔵
「板倉鼎・須美子展」 千葉市美術館 2024年4月6日~6月16日
NEWS・TOPICS・COLUMN
【column】エッセイ集『板倉鼎をご存じですか ― エコール・ド・パリの日本人 画家たち』出版こぼれ話
私が主宰している一般社団法人「板倉鼎・須美子の画業を伝える会」が千葉市美術館で開催された「板倉鼎・須美子展」(2024・令和6年4月〜6月)の後援団体になった。これに合わせて拙著「板倉鼎をご存じですか ― エコール・ド・…
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2021年5月31日付けの【こぼれ話】で【清水多嘉示 渡仏前の生写真と中村彜】と題した篇を掲載した。彫刻家清水多嘉示の同郷(長野県諏訪)の友人で後年教育指導家となる川上茂(後に上條に改姓)旧蔵のアルバムを入手したからであ…
第7期運営体制のお知らせ
当社団法人は9月30日に第6期事業年度を終え、先日、定時社員総会を開催いたしました。今期は監事を除く全役員の改選期でしたが全員が重任し前期と同様の役員陣で運営にあたります。 代表理事・会長 水谷嘉弘 博物館学芸員資格者 …
【近代日本洋画こぼれ話】川島理一郎 その4 秀作北京聴鴻楼(西太后旧居)
冒頭画像は、【聴鴻楼(西太后旧居)】1938(12号) 川島理一郎の画風変遷について続ける。1936年頃から再び筆致が軽くなる。ストロークが流れ明るく爽やかな画風になり、カラリストの貌をはっきりと見せる。それが3回目の画…
【近代日本洋画こぼれ話】伊原宇三郎 その6 滞欧風景画の秀作 南仏アルルふたたび
伊原宇三郎は1925・大正14年5月、31歳の時、妻しげ子と共にフランスに着く。この年はパリを中心に写生に出かけたりピカソの研究に費やした。翌年2月から3月末までフランス国内を回り多くの風景画を描いた。特に南仏プロヴァン…
【近代日本洋画こぼれ話】二瓶徳松 作品「(仮題)教会」を巡って
二瓶徳松(画名:經松、等、等観、1897・明治30年札幌生まれ〜1990・平成2年)は、板倉鼎の東京美術学校同級生(1924・大正13年卒業)でパリでも頻繁に往き来していた画家である。同級生には岡鹿之助、野口謙蔵等もいる…