昨日、銀座の美術家会館で一般社団法人「日本美術家連盟」の部会「明治以降美術の業績調査委員会」主催の「板倉鼎」座談会が開かれました。出席者は、連盟側から笠井誠一先生(明治以降美術の業績調査委員会委員長)、入江観先生(同委員会副委員長・連盟常任理事)、板倉サイドから松戸市教育委員会学芸員田中典子氏、水谷の計4人です。
冒頭、笠井先生が「近年、近代日本洋画家の存在が忘れられる一方で連盟としてもこの流れを変えて行きたい。特にレアリズム(写実)画家の業績に焦点をあてたい」と述べられ、入江先生の司会で始まりました。田中氏は板倉鼎のキャリアを辿って適宜鼎、須美子の松戸の実家とのやり取りや画風変遷について説明し、水谷は時代背景である1920年代の日仏社会経済状況、鼎周辺の日本人画家の話をしました。笠井先生の藝大恩師、伊藤廉(1898生まれ)、入江先生の春陽会における師、岡鹿之助(1898生)ともに鼎の同窓同年代で、特に岡鹿之助は鼎の最も親しい同級生だったこと、また両先生とも1950年代から1960年代にかけてフランス政府給費留学生としてパリで学んでいてその時の経験とも照らし合わせて語っていただきました。
鼎の絵に対する印象、藤田嗣治との関係、岡鹿之助と鼎の相互の影響、文学者との交流などなど約2時間、多岐に渡った座談の内容はfileされ連盟機関紙に掲載される予定です。(後日、本ホームページにも詳細をUPします)
前列左、笠井誠一先生 右、入江観先生
笠井先生 入江先生(日動画廊個展会場にて)
文責:水谷嘉弘