【topics】中村拓博士のこと(藤田嗣治、板倉鼎等の集合写真を巡って:中村士先生からの手紙)

昨年1月、松戸の聖徳大学博物館で開催された「フジタとイタクラ展」は、藤田嗣治と板倉鼎・須美子の絵画作品を主とした展覧会でしたが、展覧会名の直接の根拠となった集合写真  ー1927年3月パリで撮影、フジタもイタクラも写っているー  も展示されました。二人は東京美術学校油画科の15年離れた先後輩で、パリでも往き来があったことは鼎本人の手紙からも確認出来ます。しかし映像として残っているのはこの一枚だけです。

(写真と氏名対比シルエット図参照。写真は個人蔵、シルエット図は松戸市教育委員会作成)

この写真について、中村拓(ひろし)医学博士の子息、中村士(つこう)先生(天文学者、理学博士)から連絡をいただきました。

(quote)集合写真ですが、中央に大久保作次郎が写っていますので、彼の送別会の写真だろうと思います。また、中村拓は右端に、両手を組んで大きく写っている人物だと思います。(unquote)

写真は先月出版された「板倉鼎・須美子書簡集」には、中村拓博士の名前入りで掲載されています。今般、中村先生からいただいたお手紙を抜粋して紹介します。

(quote)大久保作次郎の送別会写真(「フジタとイタクラ展」展示写真)は井上由理さんの『青春のモンパルナス 清水多嘉示滞仏記』(2006年)には、ほぼ全員の氏名が載っています。中村拓は、在パリ中は多くの日本人絵描きさんと交流があり、戦後も岡鹿之助さんらとは年賀状のやり取りをしていました。山口長男さんなどは、毎夏家に来て夜遅くまでビールを飲んで歓談していたのを子供心に覚えています。(unquote)

中村拓は生化学者、医学者(1890~1974)。パリのパスツール研究所に留学中(1921~1929)は、医者として日本人画家達の健康面を診ており、板倉鼎も診察を受けています。書簡集にも登場します。

(文責:水谷嘉弘)

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