【近代日本洋画こぼれ話】小堀四郎 その2 我が国には稀少な崇高を描く

 

(冒頭画像は小堀四郎(90歳)1992年展図録より)小堀四郎の戦後作品が「精神性に富んだ神秘的な、宗教的とさえ言える(中略)自然観照が観念性、幻想性を帯びてモチーフに天空や海原が目立つ。彼岸の世界を観るかのようだ」と前篇で述べた。これらの作品を観てまず思い浮かべる言葉が美学上の概念「崇高」である。「崇高」とは雄大な自然描写に高尚さが宿っている美術作品を観た時に得られる感覚、といった意味合いで使われる。敬虔な気持ちにさせられる、とも言えよう。「(狭義の)美」とは異なる「美的範疇」の一つだ(美学ではその他の美的範疇として「滑稽」「悲壮」等がある)。その「崇高」絵画の代表事例が19世紀前半のドイツロマン派の画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒである。

18世紀終わりごろから19世紀半ばにかけて支配的な美術イズムであった新古典主義に対抗して勃興したロマン主義と言えば、ジェリコー、ドラクロワに代表される躍動感ある情緒的なフランスの人物、事象表現を連想する。しかし理想主義的なアカデミズム表現とは異なるとの観点から、ロマン主義のレンジは広い。風景画の分野ではコローを、後の印象派に通じる写実描写に注目してロマン派に位置付ける批評家もいる。地域による特長もあった。ドイツのフリードリヒの他、イギリスではターナー、コンスタブルがよく知られている。

フリードリヒ【氷上の難破船】1824 フリードリヒ【大狩猟場】1832

ドイツロマン派絵画は、古典を規範として形態把握を一義とするラテン的なアカデミズムをベースとしながらも、風景の写生に軸足を移しゲルマン的な内省に因って哲学的思索を表現した。フリードリヒの風景画は自然の中に超越的存在を暗示し精神の高揚を喚起している。西欧南方のラテン系とは違う西欧北方系の特長といえる。フリードリヒを日本に初めて紹介したのは東山魁夷(1908~1999)である。ドイツ留学中(1933~1935)に知ったようだ。

小堀四郎の画家としての成長過程を追ってみよう。美校時代は黒田清輝由来のラファエル・コランのフランスアカデミズム教育を受ける。フランス留学時代(1928~1933)にルーヴルでオランダ(北ネーデルランド)のレンブラントとバルビゾン派のコロー、ドーミエを模写した。遺した作品は前篇で紹介した【フィレンツェ】1930や【フェスの門】1932がある。コローの味わいがある前者は、安定した構図と正確なデッサンで小品ながら大きく迫って来る秀作である。帰国後は【死】1941、【鶴川風景 夏】1944、【高原の夕陽】1947、等がある。1935年、画壇から離れて以降は終生、美校の同期生による年1回の上杜会展にのみ出品した。

(掲載作品は全て図録画像)

【死】1941 【鶴川風景 夏】1944 【高原の夕陽】1947

戦後は【高原の聖夜】1961を経て、晩年【無限静寂】1977、【浄寂】1980、【驚異の美】1987、等の連作に取り組んだ。上杜会展出品作 【無限静寂】三部作(100号)は築地カトリック聖堂の祭壇画となった。これらの作品には神秘の世界を感じる。画題からもそれが伝わる。風土の違い、宗教観の違いなどに因って表象の相違はあるものの、モチーフとなる空や大地の表情、壮大さが醸し出す悠久なる自然のイメージがフリードリヒ作品と重なって来る。主観的風景画と言える。

1986年展図録(渋谷区松濤美術館)に寄せた小堀本人の文章に以下の一節がある。[若い時は美しい自然(風景)や草花を見ても、その美しさへの感動が眼に映ずるもので受け、知識によって納得して来た傾向があるが、年を重ねるに従い、目に映ずる物、事の美しさの裏というか、奥というか、目に見えない部分の美しさ、空間、静けさ、深い味わいに神秘を感じる様になって来た。]敬愛する師藤島武二の教えに導かれた悟りもあったに相違ない。

 

【高原の聖夜】1961 【生命の神秘 三】1979 【浄寂 雲上】1980 【人生とは】1982

【驚異の美 昼】1987 【静中動 生命の根源二】1990

小堀四郎がドイツロマン派の影響を受けたのか、自ら達した境地だったのか、ここで問おうとは思わない。彼が語った言葉と完成させた晩年の多くの作品から伝わって来る崇高さを真摯に受け止め味わいたいと思う。小堀四郎という我が国では稀有の画歴と生涯を送った一人の画家の着地点であり独自のスタイルを完成させたからである。興味深いのは、崇高の先達ドイツロマン派が杏奴夫人の父森鷗外が学んだ国と符号することだ。小堀がロマン派的資質の持ち主だったとも思う。因みに「das erhabene」というドイツ語を「崇高」と訳した人は鷗外その人である。

近代日本洋画の系譜に崇高のカテゴリーに属する画家と作品が数少ないことと、フリードリヒの紹介者が日本画家の東山魁夷であった事実は同根であることも指摘しておきたい。ロマン主義の流れは同世紀後半の印象主義から翌20世紀初頭のフォーヴィスムに引き継がれていくが、それは主にフランスを中心としたラテン系ロマン主義の方でドイツ系は其の特異性からか後継が育たなかった。我が国の近代西洋画受容はフランス印象主義の色彩と筆致に偏ってしまい、フォーヴィスムに対しては造形表現としての理論的側面が看過され情緒的共感に収斂して行った。ましてやドイツロマン主義を受け容れる状況でも体質でもなかったと言えよう。この意味で、小堀四郎は近代日本洋画史における稀少な「崇高」表現者と位置付けられるのである。

文責:水谷嘉弘

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