板倉須美子はオアフ島に戦艦を浮かべる。: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
板倉須美子の『ベル・ホノルル23』に描かれ、かねてから気になっていた遠景の船について、落合道人氏がブログ「落合学」で詳細な分析を述べられた(2024年6月29日)。氏の承諾を得て紹介させていただく。絵の解題と合わせてお読みください。
文責:水谷嘉弘
板倉須美子はオアフ島に戦艦を浮かべる。: 落合学(落合道人 Ochiai-Dojin)
板倉須美子の『ベル・ホノルル23』に描かれ、かねてから気になっていた遠景の船について、落合道人氏がブログ「落合学」で詳細な分析を述べられた(2024年6月29日)。氏の承諾を得て紹介させていただく。絵の解題と合わせてお読みください。
文責:水谷嘉弘
4月6日に始まった千葉市美術館の「板倉鼎・須美子展」が、今週日曜日、6月16日をもちまして無事閉幕いたしました。多くのメディアで好意的に取り上げていただいたお蔭もあり日増しに来場者数が伸び、1日平均約200人の方々にご観覧いただきました。ありがとうございました。後援団体となった当法人からも厚く御礼申し上げます。
本展を通じてより多くの方々に板倉鼎、須美子の存在と作品が知られるようになったと確信しています。今後とも板倉夫妻の顕彰にお力添え賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
水谷嘉弘
一般社団法人 板倉鼎・須美子の画業を伝える会 代表理事・会長
4月に刊行した当社団法人代表理事水谷の美術エッセイ集『板倉鼎をご存じですか ーエコール・ド・パリの日本人画家たち』(コールサック社)が、さる5月25日(土)、朝日新聞朝刊読書面の書評に取り上げられました。朝日新聞書評委員で小説家の山内マリコ先生の執筆です。千葉市美術館の板倉鼎・須美子展を訪れられ夫妻の生涯を概観された上で、水谷著作に言及して過分なご批評をいただき[ある芸術愛好家(ディレッタント)の集大成といった趣の書だ。]と〆られています。著者として望外のことで大変光栄です。山内マリコ先生に厚く御礼申し上げます。
なお、当該の書評は、朝日新聞の関連サイト「好書好日」内のメニュー(書評)→(書評委員から探す)→(山内マリコさんの書評)で読むことができます。
好書好日|Good Life With Books (asahi.com)
山内先生は、以前、2021年1月15日の日本経済新聞文化面コラム「モデルの一生(十選)」にも板倉鼎の【休む赤衣の女】を採択されていらっしゃいます(本ホームページ2021年1月19日付け【topics】欄で紹介しています)。
我が国有数の全国紙に板倉鼎の名前が掲載されることはその顕彰活動に従事している当社団法人にとって大きな力となります。大変な励みになりました。ありがとうございました。
文責:水谷嘉弘
著者:水谷嘉弘
コールサック社 2024年4月刊
千葉市美術館で開催中の「板倉鼎・須美子展」の会場風景を紹介します。最後の写真は、本展を担当した西山純子学芸課長です。
文責:水谷嘉弘
今般の板倉鼎・須美子展開催に合わせて以下2点の書籍が出版されましたのでお知らせします。
1)『板倉鼎・須美子 パリに生きたふたりの画家』(展覧会公式図録兼書籍)東京美術 評伝執筆 田中典子、エッセイ執筆 高橋明也他 ¥3,630(税込)
2)『板倉鼎をご存じですか ーエコール・ド・パリの日本人画家たち』コールサック社 水谷嘉弘 ¥2,200(税込)
共に、Amazonから購入出来ます
文責:水谷嘉弘
4月6日から千葉市美術館で板倉鼎・須美子展が始まりました。7年振りの本格的な回顧展です。板倉夫妻の油彩画約130点をはじめとして、水彩・習作約100点、その他資料約70点が展示されています。絵画、資料類だけでなく、二人がパリから松戸の実家に宛てた書簡からその想いを綴る言葉(文章)も大きくパネル紹介してその心情が伝わって来る展示構成になっています。若くして世を去った二人の真摯な気持ちに触れて下さい。
開幕に先駆け、内覧会・レセプションが前日5日に行われました.。百数十名の方々が参会され大変な盛況でした。
(右から)ヘレン・ザーレ本展図録執筆者、田中典子本展監修者、水谷
(右から)玉谷邦博NHKラジオ深夜便ディレクター、園井健一当社団監事
開会式で、当社団代表理事水谷が本展後援団体の代表者として来賓紹介され、高橋明也当社団理事(東京都美術館館長)が乾杯の発声を行ないました。
(左から)中林忠良氏、野田哲也氏、同夫人、神林菜穂子ミュゼ浜口陽三学芸員
(左から)高橋明也当社団理事、木寺昌人元駐フランス日本国大使
(冨田章東京ステーションギャラリー館長、奥は山下裕二明治学院大学教授)
会期は6月16日までです。ご観覧をお待ちしています。
文責:水谷嘉弘
2024年4月6日~6月16日「板倉鼎・須美子展」千葉市美術館(画像提供:千葉市美術館)
或る画家に興味を持って追いかけていると続けて作品に巡り合うことはよくある。流れが来たというよりそれまで見過ごしていただけで気にし始めたので気付いた、という方が適切かもしれない。ともかく最近のそんな画家が佐分真(1898年生まれ)である。滞欧風景画の秀作【アッシジ】1927、について書いた後、しばらくして挿画【パリのキャフェ】1935、を入手したらまもなく2枚のデッサン(仮題)【椅子による婦人(2)】【裸婦 座像・左向】共に1932、も到来した。
仮題【椅子による婦人(2)】1932鉛筆(35㎝✕26.5㎝)
【椅子による婦人】パンフレット画像
佐分真について書くのは3回目になるので今回は趣味譚にする。
画家は皆、膨大なデッサンを描いているが世に出回ることはあまりない。美術館もFOCUSしている画家の素描類は遺族、関係者から寄贈される等して相当数所蔵しているが油彩画に比し地味なため展示される機会も少ない。佐分にも同様なことが言えよう。1936年10月、没後半年で刊行された画集「佐分真」(限定450部)春鳥会、には油彩画47点の他デッサン11点(コンテ9点、鉛筆2点)が収録されていた。1970年に出身地一宮で素描展が開かれているが、私の手許にある1976年4月の銀座松坂屋「没後40年佐分真展」パンフレットに佐分の妹保子氏が次のように書いている。
(quote)今回没後40年追悼展と銘うつにはあまりにささやかでございますが、油彩の他のほか未公開のデッサン数点を出品いたすことにいたしました。(unquote)
本作デッサン(冒頭画像)はこの時公開されたデッサンと一連の作品と思われる。パンフレットに掲載されたデッサン(紙寸表示なし)とモデル、姿勢、衣装、陰影表現に共通点が多いからだ。そのため本作を【椅子による婦人(2)】と仮題した。額裏には保子氏の鑑書きがあるが、他にも付いていた物があった。スケッチブックから切り離された1枚である。
【椅子による婦人(2)】 (1枚目裏)
(1枚目表)
表面左上にフランス語でメモが記され、裏面には次頁表面に描かれたデッサンの鉛筆粉末が薄く付着していたのである。図柄は本作の裏返しだった。スケッチブックの連続した2枚が一緒に切り離されて2頁目の本作が額装、鑑書きされ、1頁目が添えられたと想定できる。なおメモは「マドモワゼル ジェルタ シャソン 9 ダトラ?街 ホテルドフランス」と書かれている。モデルの氏名と描いた場所、当時フランス(パリ)のホテルにはアトリエを持ち賃貸していた所があったようだ。板倉鼎も実家宛ての手紙にその旨を書き連絡先住所をホテル内としていた時期があった。
【裸婦 座像・左向】
もう1枚のデッサン【裸婦 座像・左向】の方は、1981年5月丸の内画廊「没後47年佐分真遺作展」パンフレットに掲載されていた。これにも佐分保子氏が「兄を偲んで」を寄せている。[・・兄が生前、参考にしろとて手づからくれた数冊のデッサン帳を宝物と思って、空襲の折も防空壕にかかえてにげていたので、百年もたったような色になっている・・]
現在、佐分の素描類は愛知県美、名古屋市美、一宮市博が多数所蔵している。1997年一宮市博物館「画家佐分真の軌跡」展には【ネックレスの女】1932作、2011年一宮市三岸節子記念美術館「佐分真 ―洋画界を疾走した伝説の画家―」展には【カーディガンの女】1932作、が愛知県美から出品されている。
モチーフだけでなく、紙寸34.8㎝✕26.5㎝、紙質は本作と合致しており同じスケッチブックから切り離された作品であろう。
【ネックレスの女】図録画像
【カーディガンの女】図録画像
佐分にはこのモチーフのデッサンが、1929年(第1期渡欧時)と、1932年(第2期渡欧時)に多く残されている。子息純一氏は著書(真の追想録)に、「巴里日記」の1929年1月、2月分から該当する部分を転載して、
「・・・(この時期の日記に)しばしばその構図を描きとめている・・・これらの女性像の一部は油彩で完成されたものもあるが、むしろ素描のほうに同じような構図のものが多く、私の手元に当時のものとおぼしきデッサンが少し残っている。」と述べている。
さて1枚目のデッサンの付帯物はスケッチブックの1枚だけではなかった。「遺品分け包み」と表書きのある二つ折りされた和紙に挟まれた「墨書スケッチ」と「自筆スケッチ葉書」(17歳時)も付いていた。
「遺品分け包み」の表書き「上 佐分真遺作」は鑑書きした能書家、保子氏の筆跡に似ている
「墨書スケッチ」(制作年不詳)スケッチブックから切り離された墨書スケッチ1枚(22㎝✕19㎝)、右下署名の「佐分生」は帰国後の佐分が使った事例がある
「自筆スケッチ葉書」1915年7月12日付(発信地小豆島、神戸港スケッチ)
美校受験のため東京に出た中学5年の夏休み、全国を旅したようだ。律儀で筆まめな佐分は行く先々から母や一宮在の叔父宛に葉書を投函している。この葉書については子息純一氏が著書に、[・・北海道から九州にかけて旅行したことが、母親への便りで判明している。各地からの葉書が九枚残っているが、消印に4の年号(註:大正)がはっきり読みとれるものがあり・・・宛名は母上様、自分は真とだけ署名している・・・発信地は、小樽―青森―松島―仙台―日光―厳島―久留米・・・8月12日から25日の便り・・・]と書いている。2011展図録には叔父宛の8月5日付新潟発、親不知海岸スケッチを添えた葉書写真が掲載されているが、本状はそれと同種である。図録解説は8月の佐分の道程が示されており、本状に依って先立つ7月の道程も明らかになる。
1915年8月5日付 図録画像
以上が今回のこぼれ話である。どうと言うことのないinformation only に過ぎない。が、入手した者としては付帯物が興味深い品々で思わぬ幸運に恵まれた気分になったし、作品本体からだけでは味わえないだろう、画家佐分真を身近に感じたことが嬉しかった。
後日談。佐分真について書いてきたこぼれ話3篇を通して、その図録から多くを学んだ1997年一宮市博展と2011年一宮市三岸節子記念美展の両方を学芸員として担当した毛受英彦(めんじょうひでひこ)氏に会うことが出来た。今回の件についても訊ねてみた。あくまで推測だがと前置きされた上で、1976年銀座松坂屋展の後、真の妹保子氏が所蔵していた兄ゆかりの作品や関連資料を美術館に寄贈したり縁戚知人に遺品分けの形で配り一部は画商等を経由して市場に出たようだ、と教えてくれた。本作もそのうちの1点ではないか、と直感した。この展覧会はそれまでの展覧会と違い保子氏が企画し名古屋以来の所縁深い松坂屋に持ち掛けたようである。彼女にとって兄没後40年をひとつの区切りと思い定めての一連の行為だったと推測する。調べてみると当該展パンフレットに所蔵佐分保子となっている作品群は大作のほとんどが後年の展覧会図録では愛知県美はじめ公立美術館の所蔵となっている。更に毛受氏は、1回目の展覧会は佐分の子息、佐分純一慶應義塾大学名誉教授(当時)が「画家佐分真 わが父の遺影」1996(前出の著書)を上梓したばかりの高揚感がおありで懇切熱心に協力してくれたこと、2回目の展覧会は協力業者の担当者が熱意を持って取り組んでくれ展覧会副題―洋画界を疾走した伝説の画家―は二人して考え抜いた末のキャッチコピーだ、等々を懐かしく語ってくれた。
佐分は1927年1月から1930年12月まで渡欧し、1年程国内に居て1931年10月再び渡欧する。しかし前回と違い親しい友人はみな帰国しフランスでの味気ない生活に嫌気がさしたようで1932年12月日本に戻る。約1年間と短い期間だった。風景画はほとんど描かず、1929年10月のオランダ行で出会ったレンブラントへの傾倒を持続し光と影を強調した重厚で精神性を感じる人物画を多く描いた。本作をはじめとする多数の婦人デッサンはそれらの作品とは趣が異なる印象がある。しかし、画家にとって油彩画完成に至る下図段階でのデッサンの繰り返しは必須の過程であり、帰国後、帝展特典を重ねた室内人物画に通じて行く佐分真の姿勢を示す証左だと言えよう。
文責:水谷嘉弘
千葉市美術館において、7年振りの本格的回顧展が開催されます。一般社団法人板倉鼎・須美子の画業を伝える会も後援します。
場所:千葉市美術館
〒260−0013 千葉市中央区中央3−10−8
043−221−2311
JR千葉駅東口から徒歩約15分(公共バス便有り)、千葉都市モノレール「葭川公園(よしかわこうえん)」駅下車徒歩約5分
期間:
令和6年4月6日(土)〜6月16日(日)10:00〜18:00(金曜日、土曜日は20:00まで)
休室日:
4月15日(月)、5月7日(火)、5月20日(月)、6月3日(月)
観覧料:
一般1,200円(960円)/大学生700円(560円)/小・中学生、高校生は無料
*障がい者手帳をお持ちの方とその介護者1名は無料
*()内は前売り、団体20名以上、千葉市内にお住いの65歳以上の方の料金
*ナイトミュージアム割引・金曜日、土曜日の18:00以降は観覧料半額
主催:千葉市美術館
特別協力:松戸市教育委員会
後援:一般社団法人板倉鼎・須美子の画業を伝える会
関連イベント:
令和6年5月3日(金・祝)14:00〜 記念講演会「板倉鼎・須美子の生涯と作品」田中典子氏(松戸市教育委員会学芸員・展覧会監修者)
令和6年4月27日(土)14:00〜 市民美術講座「板倉鼎・須美子展−入門編−」西山純子氏(千葉市美術館上席学芸員)
千葉市美術館が収蔵した【垣根の前の少女】1927、鼎の代表作【休む赤衣の女】1929頃、など油彩画約130 点、水彩・習作約100点、その他資料類約50点が展示されます。
文責:水谷嘉弘