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【topics】よみがえる画家ー板倉鼎・須美子展 目黒区美術館(2017年4月)

板倉鼎「画家の像」

1920年代、共にパリに留学し魅力的な作品を数多く残しながら、惜しくも早世した板倉鼎(かなえ)・須美子夫妻の画業を回顧するとともに、二人と親交の深かった岡鹿之助はじめ、当館所蔵の、同時代にヨーロッパ留学・滞在中の画家たちが描いた作品で学んだ作家たちの作品をあわせて展観し、これまで一般にはあまり知られてこなかった板倉夫妻を中心に、当館がテーマのひとつとしてきた戦前期の「画家の滞欧」の興味深い一側面をご覧いただきます。

本展は2015年10月10日から11月29日まで、松戸市教育委員会の主催で、松戸市立博物館で開催された「よみがえる画家 板倉鼎・須美子展」を参照して、企画構成にあたった同教育委員会の田中典子さんを監修者にお迎えし、主要部分を再現します。また、同時代の滞欧作家たちの作品および関連資料等については、当館所蔵品を中心に新たに構成いたします。

(目黒区美術館ホームページより転載)

【topics】板倉鼎 その芸術と生涯(編著 板倉弘子)三好企画(2004年9月)

1929年(昭和4)9月29日、洋画家・板倉鼎(かなえ)は留学先のパリで28歳の短い生涯を閉じました。大正15年夏にパリに到着して以来、不慣れな異郷で妻子を養い、さらに画業の習得に専心するという多難な生活にもようやく慣れて、一条の光、独自の画風確立の手応えを掴みはじめた矢先の逝去でした。

千葉県、松戸町の医家に生を享け、千葉中学で堀江正章の薫陶を受け、東京美術学校西洋画科に進んで、岡田三郎助、田辺至の指導を受けるや、卒業の翌年渡欧という、まさに画家の登龍門をまっすぐに駆けのぼり、前途洋々たる画業を歩みはじめた途端の病魔との出会でした。

ともにパリにあった美術学校以来の画友・岡鹿之助の尽力もあって、パリの画室に遺された作品はすべて郷里にもたらされ、家族、ことに令妹・板倉弘子の手で、渡欧前の作品と合わせて、今日まで保存されてきました。

板倉鼎の没後75年に、遺された油彩画、膨大な水彩画(下絵)、素描などの中から、油彩88点、水彩画(下絵)20点、素描3点、版画3点、そして、パリでともに描いた妻・須美子の油彩画5点、合わせて119点を選抜し、妹・弘子の「兄板倉鼎の思い出」、詳細年譜を添えて刊行しました。

(美術の図書 三好企画 出版案内より転載)

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